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Saturday, April 24, 2021

世界初の市販用レトルト食品「ボンカレー」はこうして生まれた 点滴の殺菌技術を応用【大塚グループ100年〈10〉第2部】 - 徳島新聞

発売当時のホーロー看板(大塚食品提供)

発売当時のホーロー看板(大塚食品提供)

ジャガイモの芽を取る熟練スタッフら=徳島市の大塚食品徳島工場(同社提供)

ジャガイモの芽を取る熟練スタッフら=徳島市の大塚食品徳島工場(同社提供)

 世界初の市販用レトルト食品「ボンカレー」は1968年、徳島で生まれた。発売開始以来、日本国内で累計30億食以上を販売し、その全てを大塚食品徳島工場(徳島市)が一手に引き受けている。2020年は新型コロナウイルス感染拡大による巣ごもり需要で売り上げを伸ばすなど、あらためて存在感を示した。

 手作りの味を守っているのが人気の要因。保存料は一切使用せず、具材は国産野菜にこだわる。機械化が進む現代でも、ジャガイモの芽取りは熟練スタッフが手作業でしている。

 1964年、大塚グループがカレー粉や固形ルーを製造していた関西の会社に資本参加したことがきっかけで生まれた。「当時大手がシェアを占めて苦戦していたので、(支援するため)入ることになりました」と大塚食品広報部の顧問は経緯を語る。

 グループ初の食品事業会社として大塚食品工業(現大塚食品)が発足した。「独自の世の中にないものを生み出していこう」。そんな方針が打ち出された頃、大塚明彦氏(後に大塚ホールディングス会長)は、米国のパッケージ専門誌で軍用携帯食として真空パックのソーセージを紹介した記事を目にする。

 「そこにヒントを得た明彦氏の発案で『1人前入りで、お湯で温めるだけで食べられる』『誰でも失敗しない』をコンセプトに開発が始まりました」と顧問は言う。

 しかし、パウチにする包材や、パウチを加熱殺菌するレトルト釜などなかった時代。グループには発祥会社の大塚製薬工場が培ってきた点滴注射液の殺菌技術があり、応用して独自の食品開発が始まった。

 食品用のレトルト釜を自前で作ることから始めた。課題となったのが、パウチの開発だ。殺菌処理するため高温にかけると膨張して破裂してしまう。耐熱性や強度を高める試験を繰り返し、68年2月、阪神地区限定での発売にこぎつける。

 しかし新たな問題が発覚する。ポリエチレンとポリエステルによる2層構造の半透明パウチは光や酸素を通し、時間とともに風味が損なわれた。包材メーカーと頭をひねり、間にアルミを挟んだ3層構造のパウチを採用することで解決し、69年5月に全国発売が実現した。

 世界初の市販用レトルト商品として打ち出されたものの、常温で長期保存できることから、保存料だらけと疑われたり、具材入りだと信じてもらえなかったりした。

 そこで広告に力を入れた。人気女優の松山容子さんを起用したホーロー看板を作り、「牛肉 野菜入り」と分かりやすく文字を入れてアピール。20人ほどしかいない営業担当者が1日15枚をノルマに取引先を回った。「商品がなかなか理解されていなかったため相当苦労したようです」(顧問)。

 地道な営業努力に加え、女性の社会進出という時代背景も後押しして売り上げは徐々に増加した。72年に落語家の笑福亭仁鶴さんを起用したテレビCMで一気にお茶の間に浸透し、翌73年に年間売り上げ1億食を達成する。核家族化が進むに従い、さらなる飛躍を遂げた。

 78年に香辛料やフルーツをふんだんに使い、日本人の好みに合った味に仕上げた「ボンカレーゴールド」を発売し、現在の主力商品になっている。2003年には電子レンジで箱ごと温められるパウチを取り入れた。今では高級タイプや子ども向け、沖縄県限定商品など7種類を展開している。

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